あらすじ・キャスト・スタッフ
『アンブレイカブル』
原題:Unbreakable
2000年/アメリカ/107分
監督:M・ナイト・シャマラン
製作:M・ナイト・シャマラン、バリー・メンデル、サム・マーサー
製作総指揮:ゲイリー・バーバー
脚本:M・ナイト・シャマラン
撮影:エドゥアルド・セラ
編集:ディラン・ティチェナー
キャスト
ブルース・ウィリス、サミュエル・L・ジャクソン、ロビン・ライト・ペン、スペンサー・トリート・クラーク、シャーレイン・ウッダード
あらすじ
フィラデルフィアで起こった悲惨な列車衝突事故。131人の乗員・乗客が死亡したこの事故で、デビッドはただ1人、傷ひとつ負わず奇跡的に死を免れた。「なぜ、俺だけが?」 やがてイライジャと名乗る男が現れ、デビッドこそが不滅の肉体を持つ者“アンブレイカブル”であり、弱き者を守る使命を帯びたヒーローだと告げる。
(映画.comより)
感想
子供のころ以来観ていないので、正直ストーリーくらいしか覚えてなかったのですが、『ミスター・ガラス』前の復習という軽い気持ちで久しぶりに鑑賞。
ちょっと衝撃的すぎて絶句してしまった……。こんなに素晴らしい映画だったとは。。
実はシャマランはあと『シックス・センス』『ハプニング』『スプリット』くらいしか観たことがなく、しかも『スプリット』以外は子どもの頃に観たものなので(『シックス・センス』は去年再見した)結構ノーマークなところがあって。
でも、今回思いました。
不安定な家族の物語
一風変わったヒーロー映画ですが、私は同時に「家族の物語」として最高だなと思っています。
デヴィッドの家族は登場時からどこか微妙に違和感を感じるような雰囲気。
息子とも奥さんとも仲が悪くはなさそうなんだけど、幸せに溢れているようには決して見えない。
どこか不安定でモヤモヤした空気が漂っています。
①デヴィッドと妻
「崩壊した家族」が映画で描かれるときって、ノア・バームバックや深田晃司のようにシニカルで厭な雰囲気が漂ってたり、もしくは修復不可能なまでに壊滅的だったり、いろいろあると思うんですけど、この作品の家族はちょっと違った印象でした。
デヴィッドと妻のオードリーは、お互いに大きな不満を抱いていたり愛情がなくなったりというわけではないんだけど、距離感というか、壁がある感じ。
それが具体的に表現できてるのが、2人が関係を修復しようと2人で夕食に出かけたときの会話。
お互いに「好きな色は?」などと質問し合う、まるで付き合いたてのカップルのような会話の中にもどこか切なさが漂う好きなシーンなんですけど、そこでオードリーが「私たちの関係が長続きしないと気づいたのはいつから?」と核心に迫った質問をします。
それに対するデヴィッドの答えが、
「ある晩、悪い夢を見て目が覚めた。安心させてほしかったのに、君を起こさなかった」
具体的な言葉で心情を吐露しているわけでは一切ないのに、これほどまでにすべてが伝わってしまう台詞がある!?
この夫婦はお互いを大切に思う気持ちや愛情はあるのに、いつしか一歩歩み寄ることができなくなってしまった、そんなことが分かる悲しくも優しいシーンでした。
だからこそ、「ヒーローの仕事」を終えて帰宅したデヴィッドが寝ているオードリーを自分のベッドまで運んで、「悪い夢を見たんだ」と言って抱きしめるシーンでは涙腺崩壊しました。
②デヴィッドと息子
もうひとつ大切なのが息子のジョセフとの関係性。
ジョセフはデヴィッドの特殊な能力に気づいていて、父親がヒーローだという喜びをあらわにするけど、デヴィッド自身はそれを頑なに認めない。
そこで起こってしまうのが、「デヴィッドが不死身であることを証明しようとジョセフがデヴィッドに拳銃を向ける」シーンなのですが。
このシーンが本当につらかったです。
デヴィッドは最初は「パパは普通の人間だ。撃たれたら死ぬ」と言って説得しようとするんだけど、それでも拳銃を下ろさないジョセフに向かって「引き金を引いたらパパはニューヨークに行く」というこのセリフですよ。
デヴィッドは家族のいるフィラデルフィアを離れてニューヨークで就職しようか迷い中、という設定なんだけど、何の脈絡もなくこのシーンでこのセリフ。悲しすぎる。
「確かにパパは不死身だ。撃たれても銃弾を跳ね返す。でもそうなったら、パパは荷物をまとめてニューヨークに行く」
息子を説得するための文句だとしても、そこに家族の崩壊をちらつかせるところが本当に悲しくて悲しくて、このシーンも泣きました。
結局デヴィッドは自分の力を認めてヒーローになることを選んだわけですが、その翌朝の食卓で「お前は正しかった」と言ってジョセフに新聞の記事を見せるシーン。
そこでジョセフが嬉しそうに静かに涙を流すところで本当に救われる。
このジョセフ役の子役が良い演技すぎます。
ヒーローの静かな覚醒
もちろんこの作品はヒーロー映画でもある。
ただし、一般的にヒーロー映画と聞いて思い浮かべる作品とは違って、実際にヒーローとして活躍し出すのが本当に後半、というかほぼ終盤。
しかもいわゆる「悪者を倒す」くだりが1回しか存在しない。
なので退屈だという人もいるけれど、私は「ヒーローの静かな覚醒を描いた物語」として最高のヒーロー映画だと思います。
自分を見失って迷っている主人公が、ヒーローとしての能力を持つ自分に気づき、自分のあるべき姿を見つけていく。
そしてそこに「家族の物語」が絡んでいくから説得力が増すのです。
まあ私はマーベルやDC映画にあまり詳しくないし、ヒーロー映画もあまり観る方ではないけど、この作品は「ヒーローとは何か?」「自分(ヒーロー)は何者なのか?」に真摯に向き合った作品だと感じましたよ。
あとラストでミスター・ガラスことイライジャの衝撃の事実が明らかになって、全体の構図が浮き彫りになるという展開も見事でしたね。
というかもうシャマランの撮り方が好き
すごく好きなショットがたくさんありました。
最初のシーンの鏡越しの会話。
夫婦で外食しているときの引きの画からだんだんクローズアップしていくところ。
殺人犯を倒しに入った家での、屋外から窓越しに部屋を映したショットでは、揺れるカーテンの後ろから現れた犯人の赤い服が透けて見えるところとかパーフェクトでした。(黒沢清っぽかった。)
あと感動したのが、デヴィッドがオードリーを抱きかかえてベッドまで運ぶロングショット。
階段を上って部屋に入ってベッドに横たえられるまで、一貫してオードリーの顔だけを映していてデヴィッドは腕しか映っていない。
ここでオードリーに徹底してフォーカスしたのは泣けました。
あと、寝ているオードリーを1階から2階まで運ぶってどんなシチュエーションがあるだろうと考えたんですが、「夫婦別々の寝室で寝ている」もしくは「オードリーがリビングのソファーで居眠りしていたのをベッドまで運んだ」あたりですかね。
そこが明確に説明されてないんですよね。
このシーン、もう少しカットを重ねるのなら「デヴィッドが帰宅する」→「ソファーで寝ているオードリーをデヴィッドが見つめる」→「デヴィッドがオードリーを抱きかかえる」→例のカット みたいなこともできたと思うんですよ。
でもこのシーンは、寝ているオードリーを2階まで運んでいるカットからいきなり始まる。
この省略のせいで、不意を突かれてめちゃくちゃ泣きました。
といったことも含めて、今回この作品を観て「私ってもしかして……シャマラー!?」と覚醒してしまいました。
よく考えたら『スプリット』もカット割りとか省略の仕方が好みだと思った記憶がある……。
今年はシャマランを制覇しようと心に決めました。
そして、『アンブレイカブル』は正直言ってオールタイムベスト級の傑作でした……。
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