あらすじ・キャスト・スタッフ
『親密さ』
2012年/日本/255分
監督:濱口竜介
脚本:濱口竜介
撮影:北川喜雄
編集:鈴木宏
整音:黄永昌
助監督:佐々木亮介
劇中歌:岡本英之
舞台演出:平野鈴
キャスト:平野鈴、佐藤亮、伊藤綾子、田山幹雄、新井徹、手塚加奈子
あらすじ
新作舞台の上演を間近に控えた演出家の令子と良平は、コンビで演出を手がけているが、そのやり方に次第に限界が見え始めて……。
「親密さ」という演劇を作り上げていく過程を描いた劇映画の前半部分と、実際の舞台の上演を記録した後半部分の2部構成で、それぞれの中に虚構と現実が交錯する。
(映画.comより)
感想
テツコ的鑑賞ポイント
- これは映画か、演劇か。劇中劇の位置づけが興味深い
- 夜明けを切り取った奇跡のロングショット
- 「対話」を繰り返した末に行き着いたのは、言葉を超えた何かだった
学生時代、東京藝大修了作品の『PASSION』を観て衝撃を受け、濱口竜介という人物に非常に興味を持ち、東京で『親密さ』が公開された際には地方から足を運んで観に行きました。
そして『PASSION』を軽々と超えるくらいの衝撃を受けて、私が濱口竜介にのめりこんでいくキッカケとなった作品。
とはいえソフト化もされていないし、そう簡単に観られるものでもないので、3年前に一度観たきりでした。
それが今回『寝ても覚めても』公開記念の「濱口竜介アーリーワークス」で上映されるということで、これは行くしかない!と思い、3年ぶり2回目の鑑賞。
『ハッピーアワー』が私の中では濱口作品不動のナンバーワンになっているので(というかオールタイムベストのひとつ)正直言って初見時ほどの衝撃はなかったのですが、それでもやっぱりこれはスゴイ映画だなあと思いました。
舞台『親密さ』の稽古から本番までを描く約2時間、舞台『親密さ』をそのままノーカットで上映する約2時間、そしてエピローグの約15分という3部構成、全部で255分の本作。
『愛のむきだし』とかもあるし、尺的にはそんなに驚くような長さでもないんだけど、この構成は何なんだ!?と観る前ちょっとびっくりしてましたね(笑)
まず前半。そもそもこの映画は電車がたくさん登場したり、電車に始まり電車に終わったりするんだけど、このパートも電車に乗って移動する場面が非常に多い。
そして何度か出てくる、「言葉は想像力を運ぶ電車」というフレーズ。
この「言葉」を交わして自分の内面にあるものを相手に伝えるということ、つまり「対話する」ことが、この作品の核にあるもの。
というか濱口作品に共通する核と言ってもいいけれど。
濱口の著書で、『ハッピーアワー』の演出について書かれた『カメラの前で演じること』を読んだんですが、濱口の演技論は、とにかく相手の台詞を「聞く」ということに重点を置いていた。
(ちなみにこの本めちゃくちゃ面白いです。映画を観る人、撮る人、演じる人みんなに読んでほしい。)
で、この『親密さ』の冒頭にある、舞台の脚本を役者が読み合わせるシーン。
ここでも、演出家である主人公・令子が「これは聞く練習だから」と言うセリフがある。
この稽古を描いた前半パートには、実際に劇中劇『親密さ』の稽古をするうえで行われたことを取り入れているらしいけど、濱口の演技論がそのまま反映されてるんだなあと思いました。
あとはインタビュー形式の演習とか、まったく関係ない内容の講義とか、質問する演習とか、ちょっと変わった「演劇の稽古」が繰り返される。
で、これらすべてが「聞く」こと、「対話する」ことに基づいたものなんですね。
そしてここまでは、この「対話」はかなり粗いものというか、みんな自分本位だったりして、「対話によるすれ違い」や「うまく伝えられないもどかしさ」みたいなものをはらんでるんですよね。
この舞台どうなっちゃうんだろう、って、見ている側も不安になるくらい。
それが収束していくのがあの前半ラストの夜明けのロングショット。
こんな素晴らしいロングショットを見たことないですよ。
真っ暗な時間から夜が明けるまでの約20分間、道路沿いを歩く2人を捉えた長回し。そして交わされる令子と恋人の良平2人の「対話」。
その対話は、これまでよりも優しくて、丁寧で、それまで何度もあってぶつかり合ってヒビが入ったものが修復していくような、それでいて何かが終わってしまうような切なさもはらんでいる。
そして夜明け。
真っ暗だった空が白み始めるまでがワンカットで収められているという贅沢すぎる時間体験。
これができるのはあの時間帯ならではだなと思う。
本当に奇跡のショットすぎて、あのシークエンスは初めて観たときから忘れられない。神ですよ神。
そして後半パートの演劇『親密さ』上映。
この『親密さ』が結構面白くて、役者の演技も良くて、普通に演劇を観に来た観客のつもりで見入ってしまう。
でも面白いのが、この演劇『親密さ』も極めて映画的に撮られているんですよね。
観客の顔や表情とか、客席に座っている令子とかも映しているので、「劇中劇」であることはしっかり意識されてるんだけど、それでもやっぱりこの劇中劇『親密さ』には映画を感じてしまう。
狙っての事なのかどうかはわからないけれど、カメラの位置がすごく映画っぽいなあと感じる箇所がたくさんあった。
カットはクローズアップ多めで、観客からは見えないような視点から撮ったりもするんですよね。
私は大学で演劇の授業を受けたことがあるので、いわゆる「演劇がDVDに収められたもの」をたくさん観たりしたんですけど、それらとも明確に違ってて、この『親密さ』まさに映画という印象でした。
舞台『親密さ』の演出として、「設定上は『向かい合って座って話す2人』を舞台上ではあえて『舞台の端と端に配置して、しかも2人とも正面を向いてしゃべっている』演出」というのがあるんだけど、その「演出」に、映画『親密さ』の観客はしばらく気づけないんですよ。
なぜなら、この2人を普通に正面からの切り返しで撮っているから。そのあと引きの画が出てきて、2人の位置関係がようやくわかる。
こんなの完全に映画の手法ですよね。びっくりしちゃった。
演劇『親密さ』だとか映画『親密さ』だとか、観客だとか役者だとか、自分でも何のこと言っているのかわからなくなってきました。笑
でも本当、この劇中劇の存在って不思議なんですよね。
もちろんこの演劇に出演しているのは映画『親密さ』の登場人物なんだけど、『親密さ』の役者自身(つまり役名ではなく俳優の名前)が演じているという印象が大きくて。
この作品はENBUゼミ俳優コースの修了作品として作られたものなので、実際にこの演劇の稽古が行われたり、演出や脚本に映画『親密さ』主演の2人が本当に携わってたりする奇妙な構造なんですよね。
映画『親密さ』とはいったいなんなんだろう……
そして、この作品でやっぱり一番素晴らしいのは、第二部が終了したあと。
2年後を描いた約15分の短いエピローグ。
あの並走する列車……思い出しただけで胸がいっぱいになる。
『PASSION』を観たときにも思ったけれど、濱口作品って結構セリフで魅せる場面が多いと思うんですよね。『ハッピーアワー』なんてもっとそうだけど。
この作品も、ここまで散々「言葉」で埋め尽くされてきたはずなんですよ。
それが最後の最後に、言葉を超えたコミュニケーションに昇華する。泣ける。本当に名シーン。
改めて傑作だなと思いました。